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今年前半の成果

あっという間に、今年の半分が終わりです。 父を見送ってから、少しずつ慌ただしさが穏やかになりつつあった筈の、 親の介護中の夫が突如倒れ、思わぬ四国往復の生活に。 もうそんなお年頃なんだなあと思う今日この頃、 いやいや自分もそれだけ歳を取ってるんですってば。 来月からはいよいよお披露目会の練習をスタートしますが、 その前に、今年の前半を振り返り。 大きな成果としては、ボリショイ・バレエアカデミーのシラバス試験に挑み、 試行錯誤で半年近くかけて作り上げた審査用の動画、 無事に合格をいただくことが出来ました。 内容は1学年を一通り、バー、センター、アレグロまで。 1つのアンシェヌマンを何度撮り直したことか。全部繋げて50分近くの動画になりました。 これはもう、根気強く撮り直しに応じて下さった、受験生お二方の努力の結果です!! 合格証書がPDFで届いたので、印刷して署名を入れたら晴れてお渡しです。 先方のディレクターの名前の隣に私の名前を入れるのは、気恥ずかしいというか畏れ多いので小さく書いてしまおう(笑) 我らのヒーロー(アイドル?)でもあるジュリーが、6月25日に喜寿を迎えました。 おめでとうございます!! 77歳という年齢に反して、つい最近のコンサートではMCでスクワットを実演されたとか。 じいじに負けちゃいかんっ(何張り合ってるんだか;笑)

実家じまい

実家じまいを決めてから1年3ヶ月、ようやく家の中の全てのモノが片付き、 夕方に鍵を返却、さよならしました。 丁度56年前の5月に当時新築の団地に入居、私はまだ生まれていなくて母のお腹の中でした。 狭い1部屋のアパートから3部屋ある新居に引っ越し、小さかった姉も兄も大喜びで部屋中を駆け回っていたそうです。 私が20代後半から一人暮らしを始めてからは、この家は父と母の二人で、 母が亡くなってから父は10年間一人暮らしを続けました。 昭和一桁世代、とにかくモノを捨てない、、 そして家のモノだけでなく、自営業をしていた頃の備品(オフィス1室分!)、母の大量の遺品にも10年間一つも手を付けず(服の山とタンス)、 古団地の、今となっては狭いといわれる3Kの部屋によくぞこれだけ収まってました。 昨年、父がバリアフリー仕様の住居に移ることになって以降、 片付けるモノの多さに途方に暮れながら、介護をしながらの片付け、春・夏・秋・冬そして父が天国に旅立ち春が来て、 最後は便利屋さんにお願いして、やっと室内空にすることが出来ました。 退去日の今日、最後の掃除機かけと床拭きをして、写真撮影。 キッチンは入居した時から取り替えることなく使い続けていたので、昭和の空気感むんむんです。 家族全員で暮らしていた頃の記憶が一気に蘇りました。 退去後は室内大改修し、最新の設備になることでしょう。 もう二度とこの部屋には戻って来れないと思うと寂しいですが、前を向くのみです。

1番ポジションで行う意味

新カリキュラムがスタートして早1ヶ月が経ちました。 クラシカル2は、復習期間としてクラシカル1の内容をおさらい、 5月からはワガノワメソッドの2年生に相当する内容に移ります。 クラシカル1も2も共に、1番ポジションからのタンジュを練習しました。 バーレッスンではさほど目立ちませんが、軸側・動側の区別、そして体のスクエアの維持が出来ていないと、 センターレッスンになって横のタンジュをした途端に軸側が持っていかれます。 前タンジュでは回旋してしまい、後ろタンジュでは沈みこんでしまいます。 5番ポジションで行うよりも、1番ポジションの方がブレるのが分かりやすいので、 軸とスクエアを意識出来るよう先に1番で練習します。 見た目は簡単そうで実は大変です。 ケガ以降すっかり弱っている足首、私もタンジュで軸から鍛え直しです。

新年度へ

昨日をもって、クラシカル1と2の1年間のカリキュラムを終了、 明日からリニューアルして再スタートです。 現在取り組んでいるワガノワ・メソッドでのレッスン、 我がスタジオに合った方法を手探りしながら進めてきて、早4年です。 元々週6で1年かけてやっとこさ習得するワガノワ・メソッドの課程を、 週1で習得しようという所から無謀ではありますが、きっちり1年。 どうしても一つ一つに手をかける密度が薄くなるのは致仕方なく、 なので、年単位の塗り重ね式で気長に。ね。 全員が一律同じ塗り重ね具合でなくていいのです。 それぞれどんな素敵な塗り色に変化していくでしょうか?

父、旅立ちました

とうとうこの日を迎えてしまいました。 前日、ジュリーのコンサートに行く途中、東京駅まで出た所で病院から電話が入り、 チケットを握りしめながら泣く泣く引き返し。 病院に到着すると、容体がかなり危なく動けない筈の父が、起き上がろうとしたり、 私を見ながら盛んにしゃべりかけていました。 冷えきっていた手も足も暖かかかったので、何か安心して父を見届け病院から帰ったのが最後、 翌日、息を引き取りました。90歳でした。 葬儀は2週間も先まで待つことになり、それまでは休まず仕事仕事。 思った以上に準備することが山盛りてんこ盛りで、落ち着いたら改めて。